FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

十住毘婆沙論(21)

十住毘婆沙論 細川巌 法蔵館

p123

この第四の因縁について龍樹は次のようにいっている。

 諸仏、あるいは菩薩は、よく衆生の利鈍、差別などをわきまえ、

その衆生を導くに適当な方法を知り、またよっく求道心を守護する。

このような仏や菩薩の教導によって初発心がおこされる。

また第五の因縁については、

 菩薩がよく道を行じ、種々の善根を修め、多くの衆生を教化し、

不惜身命、多くの利他行を励み、広修多聞し、世の人にすぐれ、

疲れ苦しんでいる衆生のために尽くし、仏教に安住し、その心が

清浄である。人あってこのような菩薩を見て、この菩薩の行ずると

ころを私も行じたいといって道心を発起する。

ものであるといっている。

現実の人生において、仏法者が誕生する因縁には、種々様々なもの

があろうが、上記の第四と第五の菩薩のはたらきによる因縁が

一番多いのではなかろうか。思えば菩薩が地上に誕生して自利利他

の行をひろめるそのはたらきによって、仏道を求める初発心の

求道者が次々とこの生死流転の世界から誕生するのである。

このような求道者がついに入初地の菩薩たらしめ、これによって

三宝を紹隆し、仏種をして断絶せしめないはたらきを展開すること

こそ、龍樹が、この「十住毘婆沙論」の序品において述べた造論の

趣旨そのものである。無量無辺道無上誓願成(仏道は無上なれども

誓って成ぜんと願ず)と誓願する菩薩の存在こそ、現実人生に

おいて人々の上に初発心をおこす最大の因縁であろう。

ところで以上の7つの因縁のうち初めの3つの因縁は、その根本が

深く、必ず成就するといわれる。後の四因縁は大部分は発心が成就

しない。しかし1部の人は成就するという。この後の四因縁の人の

相が次の調伏心品に述べられている。

第四、第五の因縁によって、仏道に発心したわれらの大部分は、

この調伏心品に該当する存在であり、「多く(仏道)成就せず」

の輩であると述べられている。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。